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猫の新盆

こんにちは。あんです。今日は亡くなった猫の話です。やだな、読みたくないなーと思ったら、スキップしてください。


日本を離れてずいぶん経ちます。もともと夏の強い日差しが苦手で、ずっと夏には日本へ帰っていなかったので、お盆の感覚を忘れてしまっていました。また、実家にはまだ仏壇がなく、きちんとしたお盆の行事も経験した事がありません。ですので、お盆について知識として知っていても、私には子供の頃に親の里へ行って親戚の人に会う、お墓の掃除に行く、そのくらいの感覚でした。


13日に、家に帰ってくる(かもしれない)ペット(の魂)の記事を読み、今年は、昨年亡くなった猫の新盆になることに気がつきました。


慌ててキャンドルを灯しました。迎え火のつもりです。見よう見まねというか、とにかく火を灯すのね、という感じです。
使っていた器に餌を少しと、お水と、その横へいつも遊んでいたロープを、結んでいたのを解いておきました。(結んであったら遊べないので。)


この女の子の猫は、去年の9月の初めに推定16歳で亡くなりました。甲状腺の病気で最後の3年ほどはお薬を飲んでいましたが、その病気のせいで体重が減る他は、とても元気で、いつもご機嫌で、おしゃべりで、本当に可愛い猫でした。


去年の8月に体重が大幅に減り、月末には獣医さんが手で触ってわかるくらい大きなしこりがお腹にできていました。獣医さんに説明してもらいながら触っても、私にはわからなかったですけど。超音波診断とレントゲンで、何かがお腹にあるのは私にも目で確認できました。良性か悪性かを調べるのに2回の検査をし、血管にできる悪性の癌である事が分かりました。


先生によると、このしこりが原因の苦しみはまだないと。ただ、このしこりが破裂すればとても苦しむので、破裂する前の安楽死を勧められました。大きさなどから、もってあと一週間ほどと言われました。


診ていただいた日が木曜、続く金曜と土曜は先生がお仕事をお休みされるため、週明けの月曜に安楽死をお願いする事に決めました。もし週末に急に苦しんだら、すぐに最寄りの病院で処置をするよう指導も受けました。


実は8月初め頃からおねしょをするようになっていて、猫にオムツはつけられないので、替わりにおねしょマットを購入し、彼女の夜寝る時のベッドに敷いていました。友達に、そろそろ覚悟をしたほうが、と言われたものの、犬用のオムツが売ってあるわけだし、おねしょをしてても長く生きるペットはいるよ、と考え、本人の様子も元気そうだったので、あと2年くらいかな、と楽観的に考えていました。
おねしょマットも、替えが必要、ともう一枚買い足したところ。毎朝のマットやタオルなどの洗濯にも慣れ、短時間で処理ができるように手はずが整ってきてました。


ところが、この週末が、急に、この猫との最後の週末になってしまいました。


金曜に食糧(私のです)などの買い物を済ませ、土曜は1日彼女を抱いて過ごしました。その頃好きになっていた外へのお散歩もしました。近所の人たちに、"可愛いね"とか、"え、それ猫ちゃん?"などと声をかけてもらいながら。夕日も一緒に見たと思います。


ちょうど一週間前に整えたベランダには、セージ、パンジー、ラベンダーなどの花が綺麗に咲いていて、まだ植え替えてなかったマダガスカルジャスミンの鉢も、綺麗な花をつけていました。猫は、私の膝に座ってベランダを見ながらうつらうつらしたり。ジャスミンの鉢が気に入った様子で、ベランダへ降りて何度も体を擦り付けてました。


日曜は、前から楽しみにしてた地元のオペラグループのリゴレットのチケットを買ってあり、鑑賞するグループ数名とのプレオペラランチも予定していたので、予定通りランチから出かけました。この猫のために私がオペラをキャンセルする事は、きっと猫が望んでいないと思うよ、と友人に言われて。昼前まで抱いて過ごし、オペラへ行き、帰ってきてからもずっと一緒に過ごしました。


月曜日、午後の予約時間に間に合うように家を出る前に、彼女の大好物だったヨーグルトをあげました。食欲はなさそうだったのですが、やっぱりヨーグルトは嬉しかったようでした。


子猫の頃には毎食ごとに小さい器いっぱいのプレーンヨーグルトを食べ(させ)ていました。食事の時間以外でも、冷蔵庫が開く音を聞くと、むにゃむにゃ言いながら走ってき、私の食事や調理などでスプーンと器がカチカチなる音を聞いても、"ヨーグルト?"という感じで必ず飛んできてました。後に、実は大量の乳製品は猫には良くないと判ったために、私が食べるときにほんの少し指につけて舐めさせる程度に変えていましたが、それはそれはうれしそうに、美味しそうに食べていたものです。


病院の帰り、中が空っぽの猫バッグを車の助手席に置いて、オーガニックスーパーに寄りました。何か白い花を買うために。猫バッグが車に乗ったまま、結構まだ暑い日中に車を駐車する事に、とても違和感を覚えたことが記憶にあります。


2週間ほど後に、遺灰をシーダーの箱に入れていただいたのを、病院から連れて帰りました。それから2ヶ月後に私は現在の住居へ引っ越し、遺灰も一緒に越してきました。今は、私のお気に入りの本棚の中でも、一番いい場所に置いてあります。昨年は引っ越しが多かったこともあり、この猫の帰ってくる場所がわからなかったらどうしようとかずっと考えていましたが、もしかすると遺灰とともにずっとここに一緒にいたかもしれず、または亡くなった日にすでに私と一緒にうちに帰ってきてたかもしれず、実はずっと私のそばにいたのかも。だから私も、いつまでもめそめそしていてはいけないなと思います。


お盆が終わると、今度は9月のメモリアルが来ます。静かに心の準備をしようと思います。


これをポストしたら、近所の店へ花を買いに行ってきます。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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