毎日幸せを感じるために

幸せをもっともっと感じるために、毎日の気づきを書いていきたいと思います。

まさかの連続大失敗

こんにちは、あんです。


お気に入りのデリバリーサービスを通じて手に入れた、グリーンの束です。ベイリーフとユーカリ、そしてタイムの様な枝からとても良い香りがします。今は、綺麗な花束よりは、こういう緑色から心が癒されると感じます。


今日は、ずっと書こうと思っていた最近の大失敗について書きます。


実は、先日、ミルクパンとお薬缶を、空焚きしてしまいました(涙)!


とっても気に入っていた、野田琺瑯の白いミルクパン。普段は主に豆乳を温めるのに使っていて、そんな時は煮立ってしまうのを防ぐために目を離さないのですが、ある晩、就寝前の白湯を準備するためにこのミルクパンを使い、低温で数分沸騰させるつもりが、うっかり寝室へ移動したまま忘れてしまって、気がついたら空焚きをしていました。


空焚きは初めて、驚いて、幼児の様に泣いてしまいました。大事なおもちゃを壊してしまった様な感じ。丁寧に扱えなかった罪悪感もあります。


内容物が水でしたので焦げることはありませんでしたが、綺麗な艶々の白い鍋肌が、少しつや消しみたいになってしまいました。表面のガラス質の部分が変質したのだと思います。使用は問題ないようなので、そのまま使っていますが、見るたびに、あの驚きがっかりした気持ちを思い出してしまっています。(そうか、これも一種のトラウマだ…と、書いていて気がつきます。)


その後1週間もしないうちに、今度はお薬缶を、やはり就寝前に空焚きしました。確か、お薬缶の中のお湯を全て湯たんぽ用にしてしまったために、改めて白湯を作るために少量の水を火にかけ、そのまま忘れてしまった。1時間ほどしてさあ寝ようと思い、猫の通り道のために必要なドアが開いているかを確認するために家の中を一周していて、何か微妙な異臭がすることに気付いたのです。暖房ヒーターが臭いのかと思って確認後、キッチンへ行ってみて、気が付いた。お薬缶が青光りしている!


すぐに火を止め、家中の窓を開け、寒いので布団にくるまって20分ほど反省。気を取り直すために、別の鍋で白湯を作って飲み、眠りにつきました。


お薬缶にはいつもちいさな炭を入れていましたが、この炭が包んであったお茶パックの様な紙が焦げて、微妙にケミカルな匂いがしていました。この異臭がなければ空焚きに気づかなかったかも知れず、一晩も火にかければ火事になる可能性もあり、そういう意味ではこのお茶パック様さまです。


このお薬缶はステンレス製で、米国移住の際に日本から持ってきた20年選手です。大きく開いた口が使いやすく、いつもピカピカに磨いて使っていました。就寝時にキッチンに出していた調理具は、いつもこのお薬缶だけ。インテリア的にもお気に入りでした。最近は部屋の湿度を上げるために長時間使っていたために、少し鍋肌の色が変わってきていましたが、それでもとても愛着を持って、丁寧に使っていたつもりです…。


内側を何度も洗い、お湯を何度も沸騰させましたが、もうこのお薬缶からのお湯は、飲用には使えないと感じました。


相当落ち込みましたが、じわじわと、復活してきました。そして、思い切って、新しい薬缶をオーダーしました。20年以上新しいお薬缶を買ってなかったのだから、このくらいの贅沢、いいかあ、と自分に言い聞かせました。野田琺瑯の薬缶、というかポットと薬缶の合いの子みたいな「ポトル」です。


日本からの発送なので、私の手元に来るまでにはまだ時間がかかるだろうと思っていましたが、予定よりも早く、今日届きました。考えることがたくさんあって悶々としていたところへ、呼び鈴が鳴り、出てみたらアマゾンの箱。さっきまでの悶々はさああっと消えてしまって、かなり、うきうき気分に。


早速お湯を沸かしてみる。長時間沸かし続けるのはNGらしいので、部屋の湿度調節には使えません。


転んでも、起き上がる、おきあがりこぼしの感覚です。今このページを書きながらも、気分の波が中庸へ戻る感覚を、感じています。


可愛いこのポトルの使いごごちは、また改めてシェアしたいと思います。



最近のリリィ。ペット用品店でキャットニップを久しぶりに購入しました。乾燥ハーブのような物です。ここへ越して来るだいぶ以前、お姉ちゃん猫のテスは全然反応を示さないのに、リリィはもう大好きで、ちいさな丸い布のカゴに振りかけると、中にはまってぐるぐる回りながら、うねうねやっていました。


今手元にある長方形のカゴにタオルを敷き、キャットニップを振りかけて準備。キャットニップを触った指をリリィの鼻へ持って行くと、目がググッと大きく開く。「なになに?今の何?知ってる匂い!好き〜」という感じでブランケットからもぞもぞと出て来て、操られるようにカゴに入る。


以前のようにぐるぐる、うねうねはありませんでしたが、気持ちよさそうに鼻をクンクンさせ、目を半開きにして、中にゆったりと座るリリィ。



『ママは、リリィちゃんが幸せなのを見ているのが、この世で一番好きだよ。』


では皆様、今日も良い1日をお過ごしになりますように。

リリィの日常 〜 1月

こんにちは、あんです。
この頃の朝の定番、チェンバロの上から外を眺める、の図。



朝、私がうっかりここのカーテンを開けずにいると、開けてくれろと催促に来るようになりました。おかげで今は、起床後すぐに、カーテンをしっかり開ける習慣がつきました。



そして、お外の観察にも飽き、ねむねむになったら、暖かい所へ潜りこみます。私は起床後すぐにはベッドメイクをせず、ブランケットを大きくめくり、ベッド内を乾燥させますが、そのままうっかり2時間も放ってしまうと、その間にリリィが丸まったブランケットなどに潜りこみます。あんまり気持ち良さそうで退かせることができず、ベッドメイクがずっと出来無くなってしまうこともしょっちゅうです。


日が暮れると、リリィの定番の居場所はベッドの上。ベッドルームを通過するたびに、頭を持ち上げたり、伸びをしたりして「ここで待ってますので」とアピール。それでもこの頃はご機嫌な時が多く、のんびりと毛並みを整えている場面に出くわすことも。



この「おまた全開両脚ばんざいポーズ」は、見かけて大笑いをし、「そうだ写真を」と、いつものようにのろのろごそごそと電話を持ち出したにもかかわらず、静止画面のように彼のポーズはフリーズしてて、そのまま写真に収めることができたものです。それにしても、そのくらい油断できるって、すごい。



では皆様、今日も良い1日になりますように。



何も重要ではない

こんにちは、あんです。


近所のマーケットで買ったラナンキュラス。蕾ばかりだったのが開いてきました。淡いピンク色が綺麗。花言葉は「晴れやかな魅力(radiant charm)」


急に引っ越しが決まり、心落ち着かない日が続いていました。


もともと石橋を叩いて渡るタイプ。しかも、渡るならさっさと渡ってしまいたく、そのために、思いつく限りの検査を、入念に猛スピードで行わないと気が済まない性格です。せっかくの年初め、心穏やかに過ごしたいところですが、気分のアップダウンが激しくもてあまし気味でした。


そんな中、エイブラハムのこのランページを見つけました。15分ほどの音声です。特に冒頭のエスター・ヒックスののんびり〜とした語り口に、血が上った状態の頭がゆる〜く緩みます。



よく出てくる言葉:Figure out (答えを)見つけ出す、解き明かす、考え付く、(原因・解決法)が分かる


<概要>
『何も重要ではない(Nothing matters)。今すぐやらなければならない大事なことなんて、ない。
今日どうするかを、決めなくたっていい。もうこれから先ずーっと、何かをどうするとか、決めなくっていいや。決める必要なんてない。私はここに、何かを決めるために存在するのではない。何も分からなくて、いい。


多分私が今ここに存在するのには、何か理由があるのだろう。何か知らないけれど。色々やってきたけれど、もう疲れちゃった。もう何もかも、どうでもいいやぁ。「何もかもどうでもいいや」と思うのって、いい感じ。「今何かを決めなくっていい」って、いい感じ。私は、「何かを決めるために、ここに存在している」とは、どうも思えないなあ。


なぜ私はここにいるのか、について考えるのは好き。何かを完璧にこなす為に存在する、のではないだろう。「もう答えを見つけ出さなくてもいい」って、いい気分だ。他の誰かが答えを見つけ出せるかどうかについて、考えなくていいのも、いい感じ。


思考が拡大していくのを感じるのは、いい感じ。思考が面白い(興味深い)方向へ広がっていくのは好き。いい気分になる思考が好き。自分の思考を監視しなくてよい、という状態が好き。


私の中の私自身が、バランスを取っていると考えるのは、いい気分。自分の進んでいる方向が正しいかどうかを、私は考えなくていい。自然に任せていれば、良い方向に進むのだ、と感じる。自分の思考の中で自分が怠惰になっていると感じるけれど、スピードを落とすのはいい気分である。


私は今現在、別に素晴らしく深い思考にいるわけではないし、とても頭が回っているとも思わないけれど(だから今、本を執筆するのに最適の時期ではないと思うけれど(ジョークです笑))、今すぐに答えを見つけなくても良く、この先もずっと答えが見つからなくてもいいのだ、と理解するのは、いい気分である。


自分がしたいことをするだけである。責任があるからするのではなく、したいからやる。私たちは、楽しいから、満足するから、気分がいいから、ここにいる。だんだんわかって来た。


答えを見つけなくて良いのだから、何が正しいとか間違っているとかは、重要ではない。
「正しいか・間違っているか」が重要でないのだから、自分が正しいことをするか間違ったことをするかについて、悩まなくてもいい。


自分の思考に正解・不正解がないとすれば、今後の自分の選択が間違っていることもない。ずっと答えを見つけられないかもしれないけれど、間違った答えを見つけることもない、というわけである。決めなければ、間違わないのである。


ではそもそも、何も見つけたり決めたりしなくていいのであれば、私たちって今ここで何をやってるんだろう?きっと楽しんでいればいいに違いない。豊かさを味わっていればいい、満足を感じていればいい。


何も答えを見つけられなかったとしても、そのことでジャッジもされない。責任からの自由、何かをしなければならない、ということからの自由。


そうなると、逆に、だんだん何かやりたくなってくる。自分のやりたい事、お膳立てのない事など、何でも自分が選ぶことは、全て正しいのだ。


ちょっと前まで、どうやって答えを見つけ出そうかと思っていたけれど、今は、「もう決めなくても良い」と分かって気が楽である。ちょっとだけ、この「なんにも決めなくっていい」という状況に、退屈してくるくらいだ。何もしなくていい。私が何をしていようがしていまいが、誰にもわからない。


「やらなければいけない」が無いのなら、「何をやりたいか」を見つけようかなあ、と思い始める。一体私は、何がやりたいかなあ。急がなくていい。


面白い人たちが好き。新しい事に出会うのが好き。たくさんの選択肢があるのが好き。人間が好き。自然が好き。興味深いことがたくさんある。「しなければいけない」を捨てたら、「何がしたいか」が残る。何が正しいかとか正しくないか、ではなく、周りの全ての事が愛おしく感じる。


愛する存在に、自分の意図することを、言葉ではなく感情で伝達する。
多くを語らず、静寂と感情を通して。言葉を駆使するのではなく。』(改めまして、完訳ではない事をご了解ください。)


今日のリリィ。着替えの途中でフリースを脱ぐと、あっという間にその上に座ってしまいます。1時間ほど外出して帰宅したら、やっぱりこの上に座っていました。



では皆様、今日も良い1日でありますように。