毎日幸せを感じるために

幸せをもっともっと感じるために、毎日の気づきを書いていきたいと思います。

キャンドルを灯す

こんにちは、あんです。

キャンドルのゆらゆらとした灯が好きです。癒しの効果があることが知られていますね。


肌断食を始めて以来、就寝前にそれまでよりも時間ができました。香り付きのキャンドルは猫に悪いかもと気付いて以来しまいっぱなしにしていたアロマキャンドルを、ちょっとだけ使おうかと出してみたところです。



記憶が蘇りました…


以前オフィス勤めをしていましたが、いつの間にか、自分でも気がつかないままにワーカホリックになっていました。毎日頑張って頑張って、とにかく頑張って、寝ても覚めても仕事をしていました。(寝てる時も仕事の夢を見ていました(まじです…))。日々の楽しみといえば就寝前の読書くらい。しかも、新しい本に手を伸ばす心の余裕がなかったんだなと今ではわかる。昔から持ってる好きな本を、何度も何度も読み返していましたから。


そんな日常を送っていたある年の秋、飼い猫の体調を始めとするざわざわとした小さな不安な出来事が身辺に起こり始めたことがあります。何か身の回りの均衡が崩れたような感じでした。


このままではなんか良くない気がする、でも何をしていいかわからない、どうすればいいのか、と考える間にも小さな出来事が続いてとほほ状態になってきていた時、ある方のこんな表現に出会いました。


"考える(think)のではなく、感じる(feel)方が大事"


女性を対象にしたコミュニケーションに関するレクチャーの中で話されているのですが、私には目を覚まさせられたように感じました。私は、もう長いこと、感じることを忘れて日々を送っていたような気がした。


何でも頭で考えて、納得する、とか、理解する、とかを優先してた。正しいとか正しくないとか、当たり前、とか、常識、とか(、我慢(笑)とか)。でも、そういうことよりも、心地よく"感じる"とか、不愉快に"感じる"とか、楽しい、悲しい、嬉しい、といった事の方が、私が"より良く在る(well being)"ために大切なはず。


"感じる"ことを取り戻す方法として、自然を観察する、などが挙げられていた中にあったのが、キャンドルを灯すこと。そういえばその時、うちの中には蚊避けのためのキャンドルしかなかったです(笑)。


早速薔薇の香りのキャンドルを購入し、毎日灯すようにしました。もう冬で雨季だったこともあり、雨の匂いのする少し湿った空気にそこはかとなく薔薇の香りが混ざり、お休みの日などは昼間の薄暗い部屋にゆらゆらと灯の影が動いてた。


その頃から、少し弱った猫のために、帰宅時間を早めました。帰宅後、食事など一連のことを済ませると、リモートで仕事はしないといけないのでパソコンに向かいます。でも、部屋の電気は落としてキャンドルを灯す。視界の端に、部屋の壁とかカーテンに映って動いているキャンドルの灯が入る。何かひと段落した時に、ゆらゆらと動く灯を見る。その後しばらくして亡くなった猫は甘えん坊の猫だったので、よくテーブルに上がってはパソコンの横でぐるぐると喉を鳴らしてました。思えば、あそこで思い切って猫の為に早めに帰宅するように決めて良かった…


今夜から、お風呂から出たばかりの3分ほどだけ、キャンドルを灯してみようと思います。少し湿った空気にいい感じで馴染むような予感がします。


皆様、今日も心地良くお過ごしになりますように。

のほほんで過ごす

こんにちは、あんです。


いい気分でいる事が大事だと解っていて、でもそのいい気分が持続しないからしんどいんだよ~、とよく考えますが、今朝モーニングページをやってる時に、ちょっとわかったかな、思った事があります。


そもそもいい気分でいたら、嫌な気分にならないんではないかと。私のセオリーはこうです。


<パターンA>


1: 気分がいい。超上機嫌とか、ハイになってるのではなく、ほんわり、のほほ〜んと幸せ〜な状態になっている。

2: そういう時って、自分の周りの空気が柔らかく、歪み(ひずみ)がないと私は思います。外からの"嫌な気持ちになるかもしれないきっかけ"に対して、結界(笑)ができてる感じ。

3: "きっかけ"が寄ってきても跳ね返すか、もっと近くへ寄ってきてもそれほど嫌な気持ちにならないか、もしくは嫌な気持ちになっても立ち直りが速い。

4: よって、気分がいい。その繰り返し。


それが、そもそもいい気分ではないと、こうなるのかな、と。


<パターンB>


1: 気分がそれほど良くない。

2: 空気に歪みが生まれていて、結界も切れかかっている。

3: "嫌な気持ちになるかもしれないきっかけ"に、結界が切れかかっているのを見破られる。きっと空気に歪みがあるからだろう。

4: "きっかけ"を認識して、流されるままに嫌な気持ちになる。

5: もう空気は歪みだらけで結界もはっきり切れているので、新たな"きっかけ"も呼び込んでしまう。

6: もっと嫌な気持ちになる。しかも、その理由はもう複数になっている。

7: 立ち直れないので、いつまでも嫌な気分。

8: もっと"きっかけ"を呼び込んでしまう。

9: もうずっと嫌な気分。


極端な話、何も心を煩わせるものがない状態で起床し(例えば夢も見ずにすっきりと目覚める)、起きてからも外界からなんの影響も受けないように、例えばネットもせず、誰とも口をきかず、メールも読まず、その朝以前の事を思い出さず、自分が心から好きな事だけをして1日を過ごして就寝までもっていけたら、その日は一日中いい気分(ほんわり、のほほん)で過ごせると思うのです。


パターンBが始まるのを避ける方法として…


- スマホをオンにするタイミングをできるだけ遅らせる。電話も鳴らず、メールやテキストも見ませんよね。(でも、これはなかなか難しい…)

- テレビをつけない。

- どうしてもネットをする場合、ニュースを見ない、読まない、聞かない。

- YouTubeなどの映像を見る時に、できるだけ広告を聞かない、見ない、勝手にオススメのリストに出てくる関係ない映像を、見ない、タイトルを読まない、開けない。


その朝以前の事を思い出さない、というのはとっても難しい。済んだことはあれこれ考えてもしょうがないので、考えないと決める、というのはどうだろう(それが難しいんですが(汗)) 。あと、記憶から繋がって近い将来のことを考えますが、これも罠ですね。楽しい事だけ妄想するというのはどうだろう。


そして、いつでも、何が何でもパターンA(のほほん)へ戻ると決める。誰の為でもない、自分のために戻るんです。やっぱりなんとかして、自分のいい気分を持続させたい。だってその方が自分が楽ですものね。


今これを書いていて、もっとわかりやすい文章で書かなきゃ(汗)とか、まあ私ったら偉そうに〜(汗)とか思ってますが、基本"のほほん"とできてます。よっしゃあですね。この調子で今日も就寝まで持って行くぞ、と決めたところで今日は終わります。


では皆様、今日も1日いい気分で、ほんわりのほほんでお過ごしになりますように。

嬉しい甘味

こんにちは、あんです。

かすてらをおやつに頂きました。



先日、日系食料品店へ行った際に買ってきていたものです。日本から輸入している和菓子は、大事に大事に食べます。今日は一切れだけ。薄茶を淹れようかとも思いましたが、今朝たっぷりコーヒーを淹れたし、この黒糖味はコーヒーにも良く合うので、コーヒーで頂きます。


サンフランシスコベイエリアでは、日本産の和菓子は結構簡単に手に入ります。ただ、一度冷凍されたものがほとんど。日本にいたら、例えば一度冷凍された練りきりなんて言語道断!とビシッと切られそうですが、やはり輸送に要する時間を考えると仕方ないですね。少し高価な和菓子の場合などは、支払い手続きをしてから、厳かに冷凍庫から出てくる(笑)。初めての時に、「凍っておりますので、○時間くらい常温に置いてからお召し上がりくださいね」、と説明された時は、家に帰ってすぐ食せない状況に驚きました。えっっ…(無言)?みたいな。


カステラやお饅頭などは、冷蔵のコーナーに置いてあって、大抵はすでに解凍済みです。買いやすいんですが、人気のあるこのカステラなどは、せっかく行っても売り切れているということが結構あります。私はこのかすてらが大好きなのですが、何度これを買いに行って虚しく空間になった棚を見つめたことか。



お羊羹やカステラを頂く時には、洋風のフォークではなくフォーク型の塗り物を使います。私の定番は随分前にお土産で頂いた八雲塗。小さくて薄くて軽いので扱いやすい。使う度に頂いた方のお顔を思い出し、どうされていらっしゃるかなあと考えます。


普段からクッキーとかチョコレートとかをぱくぱくと食べていますが、本を読むとか何かをしながらという状況が普通で、次々に手が伸び、気が付いたら甘過ぎてちょっと気分が…という事もしょっちゅう。その点和菓子は、頂こうかな、と考えたところから全然態度が違う。包みから出すところから始まり、菓子皿などを出す、飲み物の選択など、考えることがいっぱい。そして食す時はほとんど一瞬で、味わった後、軽くふうっと一息をつく。座っていても足は組まず、背筋もまっすぐ。心からその時間を楽しみます。


長崎からはるばる私の元へやってきたかすてらさん、美味しくいただきました。ご馳走様でした。


では皆様、今日も良い1日をお過ごしになりますように。