毎日幸せを感じるために

幸せをもっともっと感じるために、毎日の気づきを書いていきたいと思います。

思考の波動

こんにちは、あんです。
思考の波動について考えていました。


重力や磁力のように、思考にも力(波動)があるという説は、私の中では当たり前の事になっています。


私の飼猫は温室育ちのお殿様のようなのほほんとした生活を送っていますが、そこはやはり人間よりも勘の鋭い動物だからでしょう、空気を的確に読んでいるように見えます。それはつまり、その場の空気に彼が感じる何かがあるという事だと思う。見えないし聞こえないし臭わないなにか。


先日同居人が雪山登山へ行って、しばらく音信不通になっていました。(衛星電話しか使えない所だったので。)この同居人不在で音信不通期間中、この家の中の波動の状態は、明らかに通常の時と違いました。


朝目覚めて、普通通り猫に餌をあげ私のコーヒーを淹れるんですが、当たり前ですが家の中に私と猫の気配しかありません。猫も、目の前にいるママ(私です)の挙動だけを監視していれば安全(後ろからの不意打ちはない)、というリラックス感が100パーセント出てました。


この家の内側に、私の発している波動だけしか(ほとんど)存在しないのを感じました。


猫はいますけど、彼の波動は私の波動に影響を強く受ける(と思っている)ので、私の波動は彼の波動、私の波動に溶け込んでいる感じ。


同居人が家にいても、PCに向かってじっと座っていれば物音はせず(聞こえず)、朝方など熟睡していれば物音を全く発しない(私には聞こえない)。でも、そこに存在する人の発するなにかが、家の中の空気や壁や何かを通して私に伝わってくる。これがいわゆるその人の波動なんだと思う。


私たちは常に、自分の波動と周りからの波動が混ざり合った状態の中に生きてるんだと思います。通りを歩いていれば、すれ違う人との間に波動の衝突が発生する。石を投げ込むと水面にできる輪のように、人は皆波動を出していて、それがぶつかったり遠ざかって消えたりしながら生活をしている。


波動がぶつかる時も、互いに影響を及ぼさないぶつかり方と、いい悪いにかかわらず何らかの影響を受ける(与える)ぶつかり方とがあって。また、距離が遠いと、物理的(?)な波動の衝突具合も小さくなる(そのパワーにもよるでしょうけれど)、など。


人ごみに出ると疲れる、というのは、この波動の衝突数が普段の生活で受ける衝突数より多いからストレスに感じるのだと思います。普段から人ごみにいる時間が長いと、それに慣れるのできっとそんなに疲れない(例えば空港カウンターで働いている方なんて、仕事中の波動の衝突数すごいと思います)。


同居人がいなかった朝、しかも完全に音信不通であると認識もしていた時、この家の中は現在私が体感できる一番他者からの波動の少ない空間でした。そして、例えば家の表のドアを開ければ、ご近所さんや通りの雑踏からの波動を感じ、そこから何処かへ出かけていけば、その行程ですれ違う人からの波動をランダムに受け、最終目的地で交流をする人とはがっちりとお互いの波動のぶつけ合いをする。またランダムな波動を感じながら帰路につき、家へ入ってドアを閉めて、自分自身の波動に一番近いところへ帰る。


私は物にも波動があると思うので、上記のような感じで順調に家に帰ってきたつもりでも、家へ入る際に郵便受けから郵便物を持って入ると、もう家の中には自分以外のものが発する波動を取り込んだことになり、出かけた時とは違う状態。


自分のマインドセットの影響もある。同居人から、携帯電話が使えるところまで降りたという連絡をもらった途端、もうこの家の中はさっきまでの私だけの波動の空間ではなくなりましたから。猫までそわそわし始める。


あの音信不通の朝、この家であの不思議な感覚に気付くことができ本当によかったと思います。自分の"基準"が少し見えた感じです。なんの基準かはわからないんですけどね。


それでは皆様、今日も一日あなたらしい波動を感じて、良い日を過ごしください。

自分の状態をスキャンする


こんにちは、あんです。
陰ヨガへ行ってきました。


私が受けているのは1時間20分のクラス。シークエンスはインストラクターによって違いますが、ある方のクラスの初めに20分の誘導瞑想のような時間があります。自分を3つの視点(観点)から眺めて状態を確認するという感じのもので、誘導の声が心地よく気持ちが良くなって眠くなっていたのを、ようやくこの頃かくっとならずに通せるようになりました。そして、ずっと確認したかったその3つの視点を、やっと覚えて帰れたのでシェアしたいと思います。


まず行うときのポーズ。マットの上にブランケットを敷き、その上へボルスターを1つ縦に置きます。ボルスターの前へ座り、背骨をボルスターの上に乗せて仰向けになります。お尻はブランケットの上。肩甲骨の左右の外側がボルスターの左右へ落ちるように胸を開き、両腕は身体の横へ。脚は、膝を曲げて足の裏を合わせ左右に開きます。両膝が浮く形になるので、私はその下へ丸めたブランケットを置いています。この姿勢で誘導瞑想の20分の間じっとしているので、膝のサポートがないと曲げた脚が広がりすぎて、20分後に次のポーズへ動くときに身動きが取れなくなってしまいますので。


ちなみに、陰ヨガではポーズを数分以上保持します。ですので、ポーズとポーズの間は、注意深くゆーっくり動きます。(速く動いたら危険だと思う。)


そして、目を閉じ、誘導瞑想が始まります。


まず、身体の状態をスキャンします。両手は物質的な身体の中心とされる下腹の上。親指をおへそへ向け、残りの指は揃えて恥骨へ向けます。真ん中に三角ができる形。そして身体の状態を観察します。力が入っているところや痛いところ、肩が凝ってるなあとか頭痛がするとか。目の奥が痛いとか重いとか。腕が重いとか痺れてるとか。身体と外界の境界にある皮膚の感覚はどうか。頭のてっぺんから爪先までじっくりスキャンします。


次に感情の状態を観察します。心臓の横の身体の真ん中辺りがハートセンターとされる所。掌を大きく広げて胸骨の上へ左右に置きます。どんな気持ちをしているか、何を感じているかをスキャンします。


最後に精神の状態を観察します。メンタルエネルギーの中心は頭(だそうです)。右手を頭の上へ置き、左手は中指を"第3の目"のある眉間に起きその他の指で顔を覆います。そして心の状態をスキャン。


こうして書き出してみると、私はまだ感情と精神のスキャンが(全然)できてないなあと気づきます。感情と精神のスキャンについて、自分の言葉で詳しく説明ができない。何を観察するのかはっきりわかってないから、瞑想の途中で集中が切れて眠くなるんだと思う。インストラクターの声は、穏やかで優しく、ゆっくりしていて、しかも英語なので…ぼーっと聴いてたら気持ちよくてあっという間にうとっとします。(別のセッションで一度やった寝るギリギリくらいまでリラックスするけど寝ない、という深ーい瞑想(ヨガニドラ)は、「私は寝ないー私は寝ないー」と心の中で自分に話しかけますが、修行不足の私はあっという間に寝ました(笑)。)


陰ヨガを始めたばかりの頃は、何か心にわだかまりがある時にポーズをとって目を閉じた途端、意識はそのわだかまりに集中してしまってインストラクターの声も聞こえなくなり、気づいたら瞑想の時間がとっくに過ぎていた、なんてこともありました。その頃に比べたら、随分できるようになったなあと思います。


ヨガのクラスでよく聞くとても好きなフレーズを2つ紹介して(私なりの訳です)終わりにしますね。



今この瞬間までに起こった事と、これから起こる事を、全て手放す(let go)。
このクラスにいる間は(ヨガマットに座っている間は)、何もする事はなく(nothing to do)、どこへも行かなくていい(nowhere to go)。



写真は、愛用のヨガマットとタオル。20年近く前に大阪の水族館で求めたタオル、柄が好きでずっと使わずに取っておいたものを最近の引越しのドサクサで発見し、ヨガの友となって復活しています。


皆様、今日も良い1日をお過ごしください。

鏡の法則

こんにちは、あんです。


鏡の法則について、最近とても腑に落ちたことがあります。私にはおおっと思えるくらいインパクトがあったので、その時の様子を書くことでシェアしたいと思います。


鏡の法則とはなにか、を一言で説明するのって難しいと思いますが、今回のテーマ(笑)は、"自分を扱って欲しいように他人を扱う"です。


今更なに?と思われた方いらっしゃると思います。実は私も、何かをグーグルサーチしていて偶然検索結果の中に鏡の法則についてのページを見つけた時、ああ鏡の法則ね、知ってる知ってる、と思いました。


いつもなら、そのページを開けて書いてある内容を読み、興味が続いていれば同じテーマでさらに検索を続けて他の記事を読み、しばらく読んだ後にうんうんそうね、とか、へーそっかー、で終わりです。


ただ今回私はテーブルに向かって座っており、手元にノートがありました。時間もありました。そこで、"自分を扱って欲しいように他人を扱う"事について、よーく考えてみようと思いました。そして、ペンでノートに、"自分は他人にどう扱われたいと思っているか"について書き出してみました。


慣れてない方は最初きっと書けないと思います。自分の本当の気持ちって、よーく考えないとわからないものではないかと。


宙を見つめて、私は人にどのように扱われたいか、よーく考えてみました。私の一番初めに出てきた内容、シェアします。恥ずかしいですけど、これがホントです。


どのように扱われたいか? -> VIPのように扱われたい


これがぽんっと出てきました(笑)。自分で「VIPってなんやねん」と突っ込みました。きっと質問形態が「どう扱われたいか」だったのでこういう答え方になったんだと思います。


これをノートに書きました。本当にこう出てきたのですから、本音のはずです。よーく考えました。そして、わかってきました。これはつまり…


私は人にリスペクト(尊敬、尊重)されたい。


そして、鏡の法則に照らし合わせて今の私の態度で足らないところ、私が今行うべくは…


私は人を尊敬、尊重する。


なんですね。


もちろん、早速次のように自己弁護が始まりました。私は周りの人をリスペクトする方だと思うしーどちらかというと気を使う方だと言われるしー、云々…


実は自分でわかっているんですが、私はかなり内弁慶だと思います。外に向かって気を使う分、内(家族など)に向かって横柄になるということです。これはこの歳になるまで培ってきた性格ですので、客観的に判断できなくなっている可能性大だと思いました。従いまして、上記のちょっとしたアウトプットをやったことで、自分ではこのくらいでいいや、と思っている家族などの近しい人への態度の中に、リスペクトが足りない部分があるのかも、と見直すきっかけになりました。


いいえ、きっかけ、くらいじゃないですね。私がこう扱われたい、と考えた一番の答えがリスペクトに関することですから、私の人に対するリスペクトは相当足らなかったんではないかと、ちょっと背筋がぞっとしました。


こういうアウトプット、された事ある方は、うんうん、わかるわかる、と思われたと思います。されたことない方、ぜひ、やってみてください。目からウロコがどどっと落ちるかもしれませんよ。頭の中で考えるだけじゃなくて、書き出すところがミソです。紙に書いても、ワープロで打ってもどちらでもいいと思います。「ここに書き出された(タイプされた)内容は、確かにこの私が書いたことなんだあ〜(OMG〜)!!!」と認識することが大事だと思います。


それでは、私は今から陰ヨガへ行って心と精神を見つめてきたいと思います。ちょっと首も凝ってるし、はよ治らんかな、みたいな。


皆様、今日も良い1日をお過ごしください。