毎日幸せを感じるために

幸せをもっともっと感じるために、毎日の気づきを書いていきたいと思います。

アンコンディショナル

こんにちは、あんです。
アンコンディショナルという言葉についてずっと考えています。難しい言葉だと思います。


unconditional
無条件の、無制限の、ただし書きのない


自分の思考がアンコンディショナルではない、ということはなんとなくはわかってはいました。ただしっかり落としきれていなかった。私のほとんどの思考には条件がびっしり付いている、という事を、まるで啓示を受けるように(ちょうどまんがとかでよく見かける電球がピカ〜と点いた感じ)しっかり認識したのはごく最近。


◯◯が△△であれば、私は幸せを感じる。
◯◯が△△であれば、私は腹をたてる。


人間の思考はそもそも条件が付いていることが多いのだそうで、それで普通らしい。そしてほとんどの場合その思考回路は無意識のうちになされる。なので、条件付きの思考でずっと生きているとしても、そんなの当たり前でしょう、という考えもできる。


ただその"条件"が減れば減るほど(何かの、例えば人生の)満足度が増すというのは事実だと思う。というか、その条件が増えれば増えるほど、不足感が増す、つまり幸せを感じられない。


もっと幸せを感じたければ、条件を減らせば良い。理屈では解ってはいるけれども、これがとても難しい。


そんな事を(時々)考えては(時々)悶々としていたのですが、ヨガのクラスに出ていてちょっとヒントかな、と気づいた事があります。


陰ヨガのクラスの始まりは、たいていハートオープニングから始まります。床に仰向けに横になり、背骨の下にボルスターなどを敷いて肩甲骨を左右に開く。そして静かに目を閉じ、息を深くし、インストラクターの言葉に従って軽い誘導瞑想に入ります。


Pay attention to the sound. 音に意識を向けなさい。Without judgment. ジャッジ (判断、判定)をせずに。


目を閉じると五感のうち視覚がなくなります。そして意識に登りやすい次の感覚は聴覚。従ってまず音に注意を払う。そして次に、肌に触れる空気や服の感触に注意を向ける(触覚)。クラスによってはうっすらとお香を焚いてある場合もあり、そんな時は臭覚にも意識を向ける。(そういえば味覚はヨガではほとんど出てこないなあ。)


クラスのある建物は比較的賑やかな場所にあり、外を走るトラックのバババーッという烈しいクラクションが聞こえたり、隣のペットショップからはエンドレスのわんちゃんの鳴き声が聞こえる事もある。クラスに遅れてきた人が、とても気をつけて静かーにドアを開けるんだけど予想に反して大きくギギギーッと鳴ってしまい、なお静かにゆっくり戸を閉め(それでもギリギリ鳴っている)、自分のスポットまで抜き足差し足で床を歩くんだけどものすごいのっしのっしと歩いてるような音が響く(これが大抵、皆が聴覚に集中するよう誘導されている真っ最中なんだなあ爆)。


毎週金曜日の午後3時15分くらいには、おそらくビルの隣の部屋かどこかに毎週必ず居る人の、電話の着信音がエリーゼのためにのメロディーで流れる。これももう毎週で笑ってしまう。


で、つまり、私は上記のような事を、それぞれの音が聞こえるたびに、考え、解釈してしまっている。No judgment どころの話ではない。(どおりで瞑想ができないわけだ笑。)


なので今は、このヨガの始まりの15分ほどの時間をアンコンディショナルの練習の時間だと思って、どんな音を聞いてもそれに囚われず、聞こえたものは聞こえたものとして聞き流し、解釈をつけず、ひたすら自分の内面へ目を向けることに集中しようと…いや〜毎回そうは思っているんですが、なかなかこれは難しいです。


ただ、自分はアンコンディショナルではないという事実を認識しただけでも、意識できていなかった以前の状態よりはまし。4つのステージで言えばステージ2の意識的無能かな。


思考は無意識に起こってしまうので、どうやってこれをステージ3の意識的有能へ持っていくのか今の私にはまだ全然見当もつきません。このステージの事を教えてくださったインストラクターによると、やればできる!という事なのですが…


今日のリリィ、というか昨日の午後のリリィ。お天気が良くキッチンの窓を開けていたら、ちょうど良く日が入って床にあったかいスポットができていた。すかさず見つけたリリィとその陰で面白い写真が撮れました。



今リリィは私の横でソファでぐっすり。ぷう〜と寝言を言っています。


それでは皆様、今日も良い1日をお過ごしください。













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