毎日幸せを感じるために

幸せをもっともっと感じるために、毎日の気づきを書いていきたいと思います。

落語のようなエイブラハム

こんにちは、あんです。


午前中外出して、水滴がついてきらきらしている芝生を見かけました。すかさず地面に這いつくばって写真。不審者に見えないこともなかったかもしれません(まだ午前中でよかった)。



もうすっかり日課となったエイブラハムの動画視聴について。


動画と言ってもほとんどの映像は、実際の録画(ビデオ)ではなく話の内容に関連するようなイメージをつけているだけのものが多い。ですので、私の場合はじっくり視聴するのではなく、聴くだけ。家事をしている時に手を動かしながら聞き流します。まさに、その昔どっかのおじさんが、日向でちょっと手を動かしながら(座ってなんか作業をしながら)ラジオで落語を聞いている感じ。


エイブラハム(エスター・ヒックス)の語り口は実に面白いです。スタンドアップコメディ(いわゆるお笑い)のような感じ。そして、それぞれの会話やお話の最後に、必ずオチがつくのです。しかも大抵ううむ〜なるほど〜とうなってしまう、もしくは、うまいっ(一本取られました)と言いたくなるようなオチ。まさに落語。


キッチンでこのテーブルに座っている時は、書き物や調べ物をしたり、何かをじっくり読みたい時です。そういう時は音は流さないか、気が向けばクラシックのラジオを低くかけていたりする。そして気が済んだらiPhoneにイアフォンをセットして、ポケットに入れる。家事とエイブラハムの時間の始まりです。


カットソーにレギンズのような簡単な格好をしていることが多く、どこにもポケットがなくてiPhoneの携帯に不便だったため、キッチン用のエプロンを着けていない時は、ギャルソンエプロンを着けることにしました。しっかりした麻の生地の、ポケットがいっぱい付いている短い丈のエプロン。幅が広いので、ぐるっと回して着けるとミニスカートを履いているみたいにお尻が隠れ、急なお客さんでもさっと出て行けて便利。



そういう状態なので、音声を聞いてはいても聴いていない時がしょっちゅうです。ただ、何がどう反応してそう判断してるか本当に謎ですが、これは、という内容がくると手作業を止めてしっかり聴く。その時に集中できない場合(家事が佳境の時)は、とりあえずその動画をお気に入りに入れて、後でもう一回聞きます。


そういう感じで聞いていた動画の1つの、パンチラインが面白かったのを紹介します。


最高のパートナーと巡り合うためには最大の選り好みをしなさい、という内容。質問者は現在のパートナーに不満がある、でもそのパートナーにもいいところもあるんです、どうしたらいいでしょうという話。いつも、最も抵抗のない道を常に選ぶことを勧めるエイブラハムの、この会話のパンチラインはこう。


どうやってパートナーを見つけるか、もしくは選ぶかを、美味しい食事をすることに例えてました。"街で最高のレストランへ行って、あなたが好きな料理を頼み、美味しい食事を楽しむ。又は、街で最悪のレストランへ行って、あなたの好みにあう食事の料理方法を、そこの調理人に教える。" (ここで少し沈黙があり、質問者が唸り、そして会場がどっと笑いに包まれる。)


そりゃあ、美味しくないところへわざわざ行って苦労して教えるよりも、美味しいレストランへ行ってさっさと美味しいものを食べたほうがいいわけです。そして、私たちは普段、パートナー云々といったテーマに関わらず、結構自ら進んで美味しくないレストランへ行って苦労をしてないかなあ、ということ。(ああああこれ伝わるかなあ〜文章力にチャレンジを感じます…)


英語ですがリンクを貼っておきます。興味のある方は是非聞いてみてください。


今日のリリィ。やっと伸びた猫草を狙っている。しかもこれは、ちぎってちょーだい、という目力。



それでは皆様、本日も最も抵抗の少ない道を選びつつ、最大に心地よくお過ごしください。

肌断食 12週目

こんにちは、あんです。

肌断食も3ヶ月目半ばになります。


昨日見つけた双子のさくらんぼ。しかもダブル。ワシントン州から来たオーガニックのレニエ種です。


相変わらず空気が乾燥した毎日が続きますが、一時期の悲鳴をあげるような乾燥具合に比べるとずっとましになりました。


今日7月11日現在、日の出が6時前、日の入り8時半。6月末に比べて日の入りが30分早くなっただけでも、ぐっと日が短くなったように感じ、気楽に外出しやすくなりました。お天気も、昼間ほとんど霧がなく青空が広がる日と、霧が出て明るいけれど肌寒い日が1日交代くらいで、とても過ごしやすい。


家の中で一番過ごす時間の長いキッチンにある北側の窓の、一番高いところの一区画は、面倒だったのと北側という油断もあって紫外線フィルムを貼らず、その代わり手拭いを垂らして日除けにしていましたが、つい先日やっぱりここからの光で肌が痛い気がしてフィルムを貼ったところ、痛いと感じることがなくなりました。しかもフィルムを全面に貼ってからは試しに手拭いの日除けをほとんどとってみたのですが、明るい外光が入ってくるにもかかわらず肌への影響は無いようで、この紫外線フィルムの効果を実感しました。(面倒がらず最初っからきっちり貼っておけばよかった…。でも効果が実感できたのでよしとしよう。)


この窓際に置いている猫草が、少しひ弱に育つようになったのも納得です。これについては、リリィ(猫)が欲しがっていないときは南側の超陽当たりの良い窓際へ移すということで対応しています。(この南の窓へたまに移動している、ということについては、彼に知られるとひっくり返される危険大なので、秘密です。)


肌のお手入れについては変化なしです。毎朝の水洗顔がとっても気持ちいい!サンスクリーンは、霧がなければSPF50、霧が出て薄暗ければSPF30を使います。メイクはミネラル。サンスクリーンだけを塗って夕方まで過ごすこともあり、一切出かけないのならサンスクリーンだけで済むのにと思います。やはり家の外へ出るとなると、サンスクリーンの上へパウダーを付けないと、夕方でも気分的に日焼けが怖いです。


入浴中の洗顔のタイミングを最後に持って行ったことで、入浴中のストレスも減り、風呂上がり時の顔の肌の乾燥も確かに少なめかなと思います。ただこのところ毎晩のように、襟元や腕、足などに、その日受けた日差しの影響に気がつくようになりました。この部位には一切サンスクリーンを塗らず、服で保護するだけにしているので、ある程度外で時間を過ごした日の夜には、風呂上がりに薄っすらと赤くなっています。この薄っすら赤は、ごく少量のエッセンシャルオイルとアロエが混ざったミネラルウォーターで翌日には落ち着くので、毎晩風呂上がりに付けるようにし、その際に顔にも押し付けるように軽くつけています。


頬の皮剥けはまだありますが、自分はそこに皮剥けがあることを知っているので気付くだけで、人と会っていても多分全然気がついてないんじゃないかと思えるくらい、皮剥けのひとひらひとひらは小さくなりました。サンスクリーンやメイクを完全に止めれば、この皮剥けは綺麗になくなるんじゃないかと期待が膨らみます。


逆に、肌断食やってると豪語しているのに変な話ですが、最近メイクが楽しくなりました。メイクと言っても私の場合大したことはないんですが、瞼にのせる綺麗な薄づきのアイシャドウや、目の縁にのせる濃いめの色を、本当にちょっとの量なんですが、以前よりずっと楽しんでつけています。これは、肌の状態が良くなった証拠じゃないかと。肌の調子が良くなってきて、さっと眉を描いてちょっと瞼や唇に色を足すだけで(本当にちょっと)、自信を持って人前に立てるようになったという感じです。(以前の、リキッドファンデを塗って、粉をはたいて、アイライナーを苦労して入れて、チーク塗って、といった工程を経て、ただ重くなっていくだけの顔、に比べたら大違いです(笑)。)


あっそうだ、今日は月曜だから、メイクに使うブラシ類を洗います。もうブラシも数本しか使わなくなって、お手入れ簡単!気持ちもいいし、いいことづくめです。


今日のリリィ。東側の窓(フィルムなし)のカーテン(私の肌の為にいつも閉まっている)を自分ではぐっていたので、ちゃんと開けて日当たり良くしてやりました。フィルムの前の猫草のように、日光不足でひ弱になってもらっては困るので。(この部屋へ出入りするために、顔にSPF50のサンスクリーンをつけたことは言うまでもない。) なんと気持ちよさそうなお顔でしょう…




それでは皆様、本日も気持ちの良い1日をお過ごしになりますように。

月命日


こんにちは、あんです。

ゆったりとした、気持ちのいい日曜の朝です。


昨日の夕方買ってきたガーベラの花束を、昨夜大まかに10センチほど水切りしてそのまま花瓶に突っ込んでいたのを、先程少し格好がつくように生けなおしました。


小振りの締まった花を三輪選んで、昨夜のうちに猫の棚に供えました。8日はこの猫の月命日でしたが、当日はキャンドルに火を灯しただけだったので、花を飾ると落ち着きます。


この猫を亡くして以来、死というものについて、いろいろな人の解釈や考え方を読んだり聞いたりしてきました。完全ではないものの、ようやくこの数ヶ月は、うっすらとした拠り所のようなものを持てるようにはなったと思います。


先日youtubeで、くずかごに飛び込む猫ちゃんのイラストの動画を見ました。自分がくずかごに飛び込むと飼い主のお母さんが笑うことに気づいた猫ちゃんが、お母さんが悲しそうな顔をしている時に、くずかごへ飛び込んで笑わせようとする話。この後はネタバレですので、まだ見たことのない方は、ぜひまず見てみてください。



私はこの猫ちゃん、死んだ後もお母さんのために、くずかごへ飛び込むことを、切望したのではないかと思います。猫ちゃんが死んで悲しんでるお母さんにために。きっと、飛び込んでみたけど倒れないくずかごとか(自分に肉体がないので)、頭突きをしても全然感じてくれないお母さんとか、なんでだろう、なんでお母さんを笑わせられないんだろうって思ったと思うんですね。


私はこの動画を長風呂の途中で見つけたんですが、涙をぽろぽろ流して大泣きしました。猫のリリィも浴室にいなかったので完璧プライベートだし、水の音はしてるし、泣き顔の処理も入浴中ということで簡単だし。猫のことで泣いたのは久しぶりでした。


これまで私の周りの人全員に、私が悲しむと猫も悲しむよ、と、何度言われたか知れません。それでも、感情に任せて悲しんだり怒ったり、もしくは意識的に考えないようにしたり、してきました。


私は、死んだ者の意識は、肉体がなくなっても残っていると考えます。ということは死んだ猫の意識もその辺りにいるかもしれない。なのに、一番大事なことを考えてなかったことに思い当たりました。


この猫の意識が消滅せず残っているのなら、私がこの猫のことでいろんな感情を引きずっていたことは当然彼女にもばればれで、そして、その都度どんなに彼女に気を揉ませたことだったかと。


初めて、猫が悲しむよ~の本当の意味が、腑に落ちた瞬間でした。


"ままは大丈夫なので、全然心配しないで、のほほーんとその辺で昼寝でもしててちょうだいね。ままのご機嫌なんて、ぜんっぜん伺わなくっていいからね。ほらね〜てっちゃんいなくってもまま楽しそうにしてるでしょう〜?"


この動画をアップされた方と、あの日長風呂の途中で見つけた偶然に、最大の感謝を伝えたいと思います。


最後まで読んでいただいてありがとうございました。


今日も皆様にとって良い1日でありますように。