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脳を休ませる

こんにちは、あんです。



最近よく苫米地英人さんの動画を聴きます。話の内容はもちろん面白いのですが、このかたの語り口が、私の耳にはとても心地よいのです。べらんめえ口調とでもいうのでしょうか。ほおっておくとずーっと聴いていたりします。


その苫米地さんのある動画を聴いていて、気になる内容をキャッチしました。


『脳は、アイドリング状態でも、通常の時と同じほどのエネルギーを使っている』
*実際にお話しされている言葉通りではない旨ご了解ください。


脳のアイドリング状態、という言葉に引っかかりました。私の脳は、アイドリング状態になっている時があるだろうか。(いわゆる、ぼーっとして特別な事を考えていない時。)


テクニカルには、必要に応じて脳は勝手に休んでいる(アイドリングしている)のだと思います。1日24時間のうち、睡眠状態以外の時間を全て脳がフルに活動していたら、エネルギーが足りなくて生命を維持できません。


でも、考えてみたのです。私の場合、朝、覚醒してから夜、就寝して意識を失うまで、常に何かを、かなり集中してやっています。脳がエネルギーを使いすぎていると考えれば、私の痩せの大食いの説明がつくと言えなくもありません。


例えば、「朝ベッドから出て寝ぼけ眼で歯を磨く」や、「仕事の合間にトイレの個室でしばらくぼーっとする」などは、いわゆる脳のアイドリングのチャンスだと思います。


ところが、私の場合、朝覚醒すると目はパッキーンと開いており、一連の朝一番の作業を、しっかり集中して行います。(まず床を箒で掃くので、集中せざるを得ない、というか、一発で終わらせたいので集中したい。)トイレへ行くとなったら、チャンスとばかり、iPhoneを持ち込んで動画を聴く。(持って入らなければ、バスルーム中の床や壁、ガラスの扉などの汚れチェックをしてしまう。)iPadを見続けて疲れたぞ、と思ったら、書き物をしてみる。それにも疲れたら、本を読む。常に、「さあ次は何をする?」を追いかけて時間を過ごしています。


もしかして、私は、無駄に脳を酷使しているのかもしれない、と思いました。そして、そのせいで、肝心なときにしっかり脳が働いていない可能性もあるのではないか。(私はよく、今一番肝心な時!という時に意識が飛びます。)


昨日のブログをポストしてから、実はどっと気持ちが落ちたんです。家でのんびりすると宣言しながら、それでも次々とやりたいことをこなそうとしている。なぜ自分をこんなに酷使しているんだろう。


シーツを替えようと思って近づいたベッドの中に、リリィが潜り込んでいました。邪険にどかしてシーツを外すわけにもいかず、「では、私も少し横になろうか」、それでもしつこくiPadをわざわざ持ってきて、ベッドに横になりました。


ところが眼鏡を持ってくるのを忘れたので、iPadの字がぼやけます。体はなぜか、ベッドに張り付いたようになって、起き上がる気にもならない。もういいやと思って、iPadを横において、しばらく目を瞑りました。


15分ほど、「うとうと」までも行かないぼーっとした時間を過ごし、はっと起き上がって次の作業に移ったのですが、その後の気分の良いこと!


脳が休んだことを実感しました。


数年前にオフィス勤めを辞めて以来、脳を休ませることなんて、考えたことがありませんでした。逆に、「自分の好きなことだけをやって生きているのに、どこに脳を休ませる必要があるのか」と考えていたと思います。


実は、好きなことだけをしている時の方が、脳がフル活動を維持し続けて疲労する、という可能性もあるのかもしれません。


1日5分の瞑想が、脳を休めるのに効果的であると言います。5分というのは極端な言い方で、というのは、特に初心者には瞑想状態にはいる為に数分必要だと思うので。でも、この言葉には、それほど短時間であっても効果が大きい、との意図があると思います。瞑想状態時の脳がアイドリングなのかどうかはわかりませんが、モンキーマインドをしていないことは確かです。


これからしばらく、脳を休ませることを意識してみます。



今日のリリィ。やっぱりお水が好き。シンクに水が溜まっていないと、ブツブツとつぶやいて知らせてくれます。ああ、この期待に満ちた目。彼が願うことはなんでも叶えてやりたいです。




最後まで読んでいただいてありがとうございました。
今日も皆様にとって良い日になりますように。

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