やりたい事 (時間について)
こんにちは、あんです。
盛りだくさんの毎日が続いています。
8月の初めに時間がない〜という記事を書き、ポストした直後にエイブラハムの時間に関する音声を見つけて、ずっとそれについて記事にしたいと思っていました。
音声はこちらです。
質問者は、"時間がたくさんある自分"を感じたいために、仕事の量を減らした人。有給を取ったりして余分な時間を作ったはずだったのに、仕事を減らす前よりも1日24時間が短く感じる結果になった。なぜなんだ〜?という問いかけに、会場中から同意の感情を表すざわめきが、くすくす笑いとともに聞こえました。
私も、わかるわかる〜と大きく頷く。そうなんだよねーせっかく時間作ったと思ったのに、なぜかかえって忙しくなっちゃって、そもそものやりたかった事にやっぱり手が着かない状況に陥る。
この音声の中で、エイブラハムの回答というかその状況についての解釈が、単純なようで盛り沢山で多岐に渡るので、大きく印象に残って今の私がフリーハンドで書ける一点についてのみ記事にします。(直訳ではなく私の解釈です、念のため。)
一言で言えば、やりたい項目には優先順位がつき、その順位も項目も日々刻々と変化しているのだという事。そして、そんな自分で良いんだと積極的に受け入れる事。
例えばこんな感じ。お料理をするのも好き、お掃除をするのも好き、お友達と会うのも好き、という人がいたとします。以前はこの3つの項目を日々上手くこなせていた。そこに、文章を書く、という新しい好きの項目が増えてなんだか忙しくなっちゃった場合。
いくらもともとあった3つの項目に対する情熱に変化がなくても、それらよりも文章を書く事の方が自分にとって旬、その時の自分が"今やりたい、今楽しみたい"事なんです。ですので、例えばお料理やお掃除やお友達と会う時間が減ったとしても、今はそういう自分なんだ、それでいいんだ、と自分でちゃんとわかって認める事が大事。
お料理お掃除お友達の時間を計画的に短縮したって、文章を書く時間は捻出されない。(捻出できそうで、思ったようにはできないんですよね〜ほんっと不思議ですけど。) そういう思考ではなくて、まず、そもそもの好きな事、文章を書く事を"楽しむ"、ということをやっていれば、自然に文章を書く時間がとれている。そして、振り返ってみればああそういえばこの頃お料理してないな、とか、友達と会ってないな、になるんだと思います。そして、それで問題も特に起こっていない(どの方面からも不満が出ていない)。
文章書きたい、でもそのためにお料理お掃除のクオリティを落としたら元も子もない、だからなんとか時短を駆使して文章を書く時間を捻出してやる、とやってしまうと、結局全部クオリティが落ちるというか、自分の満足感や達成感が減るというか(、そして多方面から不満が出るというか…笑)。挙句にこの文章を書くなんていう新しい事を始めたのが悪い、止めよう、などと思ってしまう。(ああ、絶対その思考に行っちゃいけないなあ。)
結局すべて捉え方、考え方なんでしょうけれど、好きな事の項目の順位は変わるんだ、というのを聞いたときにはっとさせられました。そして、それで良いんだという事も。そして、それで良いんだと思えば思うほど、物事が上手く回るという事も。(逆も然りです。)
伝わっていれば嬉しいです。
今日のリリィ。ちょっと出掛けてて帰宅したら、リリィは南の窓にいる様子。外から写真を撮ってやろうと、また玄関のドアを開けて外へ出てみたら、リリィは窓から部屋の中の方を向いて、あれ、ママはまたどっかいっちゃったんだろうかと思案している様子。外から軽くポンポンと手を叩くとミミズクか何かのようにくるっとこちらを向き、ものすごく驚いた様子で私を見る。えっママそんなところで何しちゃってんの?という顔。おそらくそれまでその窓から私を見た事がなかったんでしょうね。もう可愛いったら。
中に入るともうぐるぐるの嵐でした。今日もよくお喋りをしています。
では皆様、今日もご自身が嬉しいなあと感じる事を、ひとつでも多くお楽しみになりますように。